「スポンサー」って何?

A Aで言われる「スポンサー」はアルコホリズムから回復している先行く仲間たちの中にあって

日常生活の中で飲酒に繋がりそうな場面が生じても、マンツーマンで相談できる仲間。

A Aプログラムのことをのべ伝え、手渡してくれる。

もちろん無償で。


私が A Aミーティングに通うようになって、

帰り道、なんとなく駅まで一緒に帰った女性の仲間がいた。

あまり集団の中にいたくなくて、ミーティングが終わったら一人になりたい私が

どうして一緒に帰っていたのか忘れたが

私がビギナーだと知ると

「スポンサーはみつけた方がいいよ、

私、一人でやっていてスリップしたから」

と話してくれた。


A Aは、会費もないし、参加は自由とか言っているのに

ホームグループに入った方がいい、とか

スポンサーをみつけた方がいい、とか

なんだか、うるさいなーとも思ったが

A Aと出会って、劇的に飲酒欲求が取り除かれている状態には

理屈抜きの感動があって

〝人の話を聞かない〟ことで有名な私にしては

周囲の、〜した方がいいよ、という意見は素直に入ってきた。


不思議なもので、それからミーティングに行くと

偶然、隣に座った仲間が

「スポンサーがみつかりました」と話している。

そういうことが、続くと、私もその気になっていった。

ホームグループには入っていたので

グループメンバーのどなたかにお願いしようと思った。

長く回復している仲間は何人かいらしたが

ミーティングで話された情景が、ありありと目に浮かぶようだったことと、

女性では珍しく日本酒党だったという共通点から

一人の方に「スポンサー」をお願いした。


はじめて、二人きりでお茶をした時に

「本当に、 A Aプログラムをやりますか?」

と問われた。

今でこそ2、30代の仲間の参加は珍しくないが

当時のミーティング会場の大半の参加者は、うーん、見た目だけの判断で申し訳ないが

どう見ても、40代から上の方たちが圧倒的だった。

私も当時は、そんなに多くはない部類のビギナーだったのだろう。

私は、特定の誰かではなく、ミーティング会場で感じた不思議な力に痺れていたから、

たいして考えなしだったけれど、やる気だけはあったので

「はい、やります」と即答だった。




A Aでは、上下関係を表す言葉は使われないので(先生、師匠、先輩、リーダー、コーチなどなどは使われない)、

実のところこの「スポンサー」を言い表す日本語はない。

「スポンサー」は〝スポンサー〟でいいのだと思うが

一般的に〝スポンサー〟と聞くと

何かしら金銭的な援助者というイメージを持ってしまう。


アメリカのドラマでは、 A Aメンバーが描かれるシーンは

もはや日常茶飯事のようだが翻訳者は苦労しているようである。

「スポンサー」の訳でこれまで見かけたのは、〝指導員〟〝支援者〟…。

ドラマの視聴者にとっては、本筋との絡みがわかればいいだけなので

「スポンサー」のなんたるやまで知る必要もないのだが

もっと、いい訳がないものかしら、とは思ってしまう。


映画・ドラマの中の回復のプログラム②


依存症者を描いたドラマや映画はたくさんあるが

回復のプロセスを描いた作品は、そう多くはない。

あっても、変に内情を知っている目で観ると?マークばかりが思い浮かんだり。


そんな中比較的、実際のプログラムに即して描かれているのが

『28DAYS』という映画。

アルコール依存症の主人公が28日間のリハビリ施設生活の中で

いろいろ気づいていくというストーリー。


虚勢を張っていた主人公が、心を開いていく過程、

最後、ハリウッド的に彼氏とめでたしかと思いきや、

飲んでいた頃につきあっていた彼氏からは静かに離れて自分の足で立っていく、

というなかなかリアルな展開。

映画の中では、

植物を枯らさず育てることができれば恋愛をしても大丈夫ということが提案されていた。


実際のプログラムの現場でも

回復が始まった頃は

恋愛については相手と距離をとったり、場合によっては別れることもある。

依存症者は、文字通り依存せずには生きてこれなかった人間だから

恋愛についてのサジェスチョンには最も抵抗を感じる部分だが

長い目で見れば、まずは自分自身が回復しないことには

何も始まらないのだ。

聞きかじり読みかじり 日本の A A オリジン

ちなみに、自助グループは昨今では相互援助グループという表現に変わりつつあるが

このブログでは、まだ広く知られている表現として

自助グループを使わせてもらう。


アメリカで A Aが誕生したのは、1935年。

では、日本では?

現在、日本の A Aの発足は

1975年蒲田グループでのステップミーティングとされている。


それまでにも A Aプログラムを日本で広めようという動きはあったようだ。

ある病院では「12の階梯(かいてい)」として、患者さんたちの治療に用いたりしたようだ。

また、12のステップを日本人向けにアレンジした自助グループが誕生した。

「断酒会」という組織だ。むしろ現在でも、 A Aより断酒会のほうが有名だろう。

映画やドラマの翻訳で はA Aのことを、断酒会と訳してあることも多いが

「 A A」と「断酒会」はまったく別の共同体である。

プログラム上ではかかわることがないが

A Aメンバーと断酒会メンバーでソフトボールの試合をして交流したという話は聞いたことがある。


日本に A Aが広がっていくきっかけ…。

ある外国人神父がアルコール依存症のために警備員に抱えられながら

アメリカに返された。

その神父はアメリカで回復のプログラムにつながり、飲まなくなる。

日本になど二度と行きたくなかったそうだ。

だが、厳しい提案を受ける。

再び、日本に行くこと。

そしてそこで、同じアルコール依存症の日本人神父と出会い

お二人は、行動を開始する。

行動の始まりは1974年11月29日。

実は、ここが私の好きなところだ。

当時、断酒学校というものがあったようで、そこに行こうという呼びかけに対して


「わたしは、酒が切れて三日目だった。禁断症状で手が震え、冷や汗を流していた。今朝大阪から出てきたばかりで、すでに三時間も彼と話し合ったのだから、今日はもう十分だ、それより早く横になって休みたい、と思っていた。」

(アルコホーリクス・アノニマス 「ピーター神父の物語」p454)


やる気に満ちていたようには思えないが、

しぶしぶと歩き出したその先に、今日の私たちの回復がある。


なお、お二人はたまたま神父という立場だったが

A Aメンバーになるために、宗教は必要ない。

神様なんか嫌い、と言っている仲間もいるし、言うことも自由。

お坊さんもメンバーだったりする。

お酒をやめたい、と願っているなら誰でもメンバーになれる。


日本の A A草創期のメンバーたちの体験談は

アルコホーリクスアノニマス ハードカバー版(¥3,150)に掲載されている。


ソフトカバー版は、リーズナブルなお値段だが(大型B5版¥2,000B6版¥1,890文庫版¥840)

メンバーたちの体験談は掲載されていなくて残念。

でも、1935年以来変わらない12のステップはここに記されている。




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