〝カッコつけない〟

私がアルコール依存症の回復のために通所した施設の、当時の施設長さんの訃報がもたらされた。


当時は、まだ女性専用の施設も少なく、私が通った施設は男女混合。

女性の担当は施設長さんが引き受けていた。

寝坊して遅刻すると「寝坊は許さん!」と怒鳴られたり、他の時は、アタマではわかっている、というような言い訳をしようとすると「そんなの、わかっているって言わないんだよ!」と一喝された。

当時は、若い方と言われた私も、今では初老の域を過ぎた。

うるさいぐらい何かを言ってくれる目上の人は激減して、その怖さをうっすら感じている。


「俺たちの病気は、カラダに織り込まれている」

性格上の欠点を放置しておくと、それがアルコホリズムとたちまち結びつきスリップを繰り返してしまう、だから、ステップを使って生きていくんだ、とわかりやすく話してくれた。

説得力があるのは、施設長がご自分の体験も話してくれるからだ。入院先で暴れて窓ガラスを割り、9ヶ月も保護室に監禁されたこと、自助グループにつながっても、はじめの頃は、入寮している仲間と違って自分にはアパートがあるし、と違い探しをしていたこと、そのうちイライラが募り、ある日、昼を食べようと入ろうとした店に品切れを告げられて沸点に到達しそれがきっかけで飲んでしまい連続飲酒へ…。

そこではじめて底つきを認めたこと。

元施設長さんが再出発のために、当時の施設の玄関先にたどり着くと、それを見た元施設長さんのスポンサーは、焼酎のにおいをプンプンさせて立っていたと、回想録の中で記していた。


焼酎のにおいをプンプンさせながらターニングポイントについた元施設長さんは

その後40数年、仲間たちのために文字通り献身し、飲まずにソーバーを全うし帰天された。



私は当時、一回だけ寝坊で遅刻はしていたけど、他のことはプログラム通りこなしているし一見、優等生。

でも「何も問題が無さそうなところが問題だ」と言われた。

自分でも、どこかでそれは自覚があって、やがて数年後、社会復帰したあとに真の問題にぶちあたっていく。

通所しながら、頻繁ではないが私は嘘をついて知人に会ったりしていた。

半分本当で、半分嘘というやり方なら、自分もあまり罪悪感を感じないで済むのだ。

まんまと騙せていると安堵しているのは本人だけで、そんなことは元施設長さんはお見通しだったような気もする。

目先のつじつまを合わせるのに必死という時期もあり、施設は警察ではないからいちいちすべてを問い詰めたりしない。ただ、そんな生き方自体が織り込まれた病気で、いずれ、人間関係の中で私は手痛く思い知ることになる。


謙虚と言うと、なんだかずいぶん敷居が高い言葉になる。

カッコつけない、という言い方が私の身の丈にはシックリくる。


私の織り込まれた病気は、カッコつけたい、都合の悪いことは無かったことにしたいであり、

おそらく、この欲求は一生ついてまわりそうだ。だが、この欲求通りに生きていたら

何も始まらず、いずれ元いた慣れ親しんだアルコホリズムの日常に戻っていくだけだろう。


そのことを、元施設長さんから教えてもらった。



ご冥福をお祈りします。