A Aに繋がるまで(寄稿)
「この人たちは、私たちが通った、
文字通り地獄の十年ないし十五年を経験しないですむようになった」
(「12のステップと12の伝統」p32より)
日本でも、アルコホーリクス・アノニマスは中高年を中心に始まりましたが
若者たちにもメッセージは広がっています。
若者には、上記のような恩恵の他にもあらゆる希望が用意されていますが
若いゆえに否認が強いとか、若さゆえに誘惑が多いなどの辛さもあるでしょう。
今回は20代で回復の途について、10年歩き続けている仲間、k氏に寄稿してもらいました。
K氏の体験談
AAに繋がるまで
「最初の飲酒から、8年後には、完全に自力では飲酒をやめられない状態になっていた。
朝起きると、特に理由もなく目の前の24時間に絶望する。
ほとんど自動的に昨日の残りのウイスキーに手が伸び、
アルコールが体に入ると、霧が晴れたように、
さっきまでの絶望や不安がなくなる。
そうして鈍い酔いに浸りながら、アルコールを補給しつつ
寝たり起きたりを繰り返すうちに気付いたら1日が終わり、
その連続で1週間が過ぎ、
いつか抜け出せると思っていたこのサイクルから、
全然抜け出せなくなっている自分に絶望する。
20代はじめの自分は、社会に出る勇気も、夢を叶える気力も
いつのまにか根こそぎ無くなっていて、実家の暗い部屋で、若さをただ早送りしているだけのような日々を過ごすようになっていた。
酒を切ってやり直そうと何度も断酒を試みるが、
不眠や、目の前の膨大な時間、不安や焦り、
それを乗り越えても、今度は、
「深刻に考えすぎていただけでは?」「やめるには若すぎるのでは?」
「これから一生飲まないなんて無理なのに、今ここで歯を食いしばって何になる」
そういう考えに乗っ取られ、
再びただ飲むだけの日常に戻っていく。
その度に、断酒をしようという、アルコールに立ち向かおうとする気力も無くなっていき、
「どうせやめられないのだから、限界まで飲みつづけて、破綻したら死ねばいい。」と、
妄想の中での死を希望に自分を安心させ、またウイスキーを飲む。
しかし、酔いの中で何度も死をシミュレーションするが、
決定的にそれを実行することはできなかった。
結局、アルコールのせいでまともな人生はおくれず、かといってアルコールなしでは生きていけず、
そんな人生にどれだけ絶望しても、自力で死ぬこともできない。
今でも辛い時や、消えてしまいたい気持ちになる時はあるが、
あのときの地獄のような日々に比べたら、前を向いた痛みの方がはるかにましだ。
自力での断酒は無理だと痛感し、姉に相談した。
当時姉も心療内科に通っていて、そこに僕も行ってみることにした。
病気というのだから、病院に通いさえすれば、治るのだろうと思っていた。
安定剤と眠剤を処方され、
これで断酒ができると思っていた。
今思えば、アルコール依存症者がアルコールだけを取り上げられても
問題は解決しないというのは当たり前に思えるのだが、
当時はある程度断酒の期間が継続すれば、
それで依存が断ち切れ、アルコールの問題を克服できると信じていた。
けれど、案の定、安定剤と眠剤の依存が加わっただけで、
アルコールの依存は克服できなかった。
その後事故を起こし、親にもアルコール依存の問題がばれ、
精神病院に入院することになる。
規則正しい生活、適度な運動、輪になって自由に話をする院内ミーティング。
確かに体は急速に回復したが、アルコールを切った後の鬱状態はどんどん深刻になっていった。
そんなときにAAを知った。
幸いに、すぐに、同じ歳の人たちが集まるミーティングがあることも分かった。
病院から1時間以上かけて、その若いメンバーの集まるミーティングに行くと、
よくわからないが、ここに解決があるような気がして、安心が得られた気がした。
その後、AAの中で、僕は生き直すことができた気がする。
それこそ僕が飲酒を始める前の10代からやり直すような、
そして依存物に頼らず精神的な成長を目指していくプログラムの中で、
もどかしい思いや、焦りからくる失敗、人間関係のつまずきは多々あった。
けれどそれを一つ一つ乗り越えていく過程で、ずっと欲しかった自由を手にいれた気がする。
今月で退院してから10年がたった。
地元に新しくできたグループでメダルをもらった時、
もし10年前の僕のような子がミーティングに来たら、
「大丈夫だよ」と、自分の経験から声をかけてあげられる自分でいられてよかったと、
静かにいろいろな巡り合わせの奇跡に感謝した。」