A A45周年見合わせ

大阪からメッセージ

LGBTQミーティングを開くにあたって
全国のセントラルオフィスに手紙を添えてチラシを送った。


あと、外部のコミュニティにも広報として。


メンバーと草加駅前のポストから投函した。


東京は人が多いだけあって
いくらでも交流する場も機会も多い。


地方などは
同じようにはいかないだろう。


海外の A AではSNSなどの活用に積極的、とワールドサービスの報告もあったので
日本でも試みていきたい。


年明け、大阪の A Aメンバーから連絡が入る。
仲間が関西のコミュニティで、チラシを見てくれたのだ。


3月に A A 45周年記念集会があるので
集会終了後に、セクシュアルマイノリティのOSMを開催するそうだ。




草加からもメンバーたちが参加予定。


15年前に新宿二丁目でミーティングを開くことは結構な冒険だった。
だが、さすがTokyoだなと感じたりもした。



用がなければ私も一生行かないような
埼玉のこの地でミーティングを開くことにも
メッセージはこめているつもりだ。


「女性」や「ヤング」のようには広がってこなかった。
だから、今、全国の仲間に呼びかけていくのだ。



「皆さんの地域でも
LGBTQ、セクシュアルマイノリティのためのミーティングを
開いてみませんか?」


と。




※けやきビッグブックグループチームLGBTQのFacebookプライベートグループを開設しています。グループメンバー以外の方も参加することができます。
ご希望の方はこちらのコメント、もしくはTwitterのDMでお問い合わせください。
https://mobile.twitter.com/2018aalgbtyuS

バースデーおめでとう

今夜は2年の仲間のバースデーだった


親子ほどの年齢差もある仲間


プログラムを順番にこなしていくうちに


仕事やスポンシーも与えてもらって


私の2年の頃に比べれば出来過ぎに思えるくらいだが


本人はいろいろ〝飲まないで生きる〟ならではの苦しみを感じているようだ



でも、ある仲間が言っていた



自分は2年の頃、何も苦しいことはなく順調、そして天狗になり


その後、大変なことになってしまった


だから、今のあなたのペースでゆっくり回復していくのがいいよ



その言葉は、2年の頃の私にも届いた


私は、飲まない生き方を始めて、社会復帰してからが試練だった


まがりなりにも、飲みながらだが働いてはきていたので、プライドは高かった


若いのによくできると言われたかった


だが、アルコール抜きの状態で社会復帰すると


不眠症、自律神経失調気味、過敏症などなど現れて


同僚のオバさんと喧嘩したり、すぐにパートをやめてしまう始末


持病のアトピー性皮膚炎で名実ともに、本当にボロボロになった


私より後から入ったメンバーには


ひどいご様子ですね、と同情される始末



私の予定(妄想?)では、2年のバースデーの時には、見事に社会復帰を果たし、


パートナーもゲットして輝いているはずの回復プランだったが、


失業中で一人ぼっちの自分という現実を受け入れるしか無かった


プライドはボロボロ


でも、その後もコツコツとプログラムを継続していったら、


数年がかりだったが予定(妄想?)の回復プラン通りになった



それでも、自分の中で、あの2年の頃の体験は


情けない時期だったなと、あまり快くは思っていなかったのだが


今夜、仲間たちの話から


あのプライドをボロボロにされた経験は、


本当は恵みだったのだと、気づかされる





なぜ、スリップが起こるのか、は、たやすくは語れないが


エゴとかプライドの問題を切っては語れない


天狗、有頂天、ピンクの雲、優越感、調子にのる…


様々な言い方があるが


それは誰もが避けようもなく陥りがちな状態だ


自分の意志ではコントロールできない



その状態に呑み込まれずにすんできたのは


あのボロボロになった体験があったからなのだと、


今さらながら思えるのだった



バースデーには、もちろん、アルコールを手放せて良かったね!という祝福の意味もあるが


何年経っても、アルコホリズムに呑み込まれてしまう危険は変わらないのだと


再確認する意味もある



あなたも


私も