回復の道を歩いているアルコール依存症者です。かつて借金もありましたが解決しました。

私自身の依存症や借金問題の体験を綴っていきます。 記事にあるグループ、施設、運動体は、運営も組織も別になっております。 広告が表示されていますが本文記事とは全く無関係です。関係ないですよ〜。

「無理解」を変換していく力

アルコール依存症の他にも、ある有名な依存症がある。

私はあまりにも第三者なので、固有名詞はあえて書かない。

今では、その依存症も広く認知されて、治療機関もたくさんあるが

その依存症の回復のための場作りも、周囲の無理解とは無縁ではなかったよう。


書籍でしか当事のことを私も知ることはできないが

ダイジェストさせてもらうと


当時、アルコール依存症のための施設が作りはじめられて

それを手伝っていた人の中に、一人の他の依存症の人。

ところが、あろうことか、手伝っている先のアルコール依存症の人に

「(その人の依存症の)回復は信じない」と言われたそう。


私だったら、どう感じるかな、と想像してみた。

たいして知りあいでもない人から言われたって、不快だと思う。

それが、知っているどころか、信頼している人に言われるなんて

私だったら、アタマにきて、まず復讐として手伝うのをやめて、

それから、うーん、とても建設的な行動をとりたいとは思えないかも。


でも、その人は、自分の依存症の回復の場を作った。

そして、今も多くの人たちがそこによって助かっている。


上記の話は、ひとつのケースとして取り上げさせてもらったが

人々にとって、良いもので重要なものとなるものが生まれるきっかけやプロセスは

賞賛や励ましから、というより、周囲の無理解、偏見、嘲笑、孤独、つまり怒りや苦しみの場合が多いかもしれないということだ。


怒りや苦しみにはどれだけの熱量があるかはわからないが

人や物にぶつければ、殺傷・破壊するほどの力があることは、容易に想像できる。

だが、怒りや苦しみの膨大な力が別のものに変換されていくのを

私もしばしば目撃したり、体験したりしてきた。

そういうことは、現実に起こるのだ。






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