回復のプログラムにつながるまで

はじめてAAのゼネラルサービスオフィス(JSO)に電話をかけた時は、

まったく通う気もなかったAAミーティングだったが、

本当に、自分の意志とか力ではお酒をやめられない!

ということを認めると、行く気になれた。


1995年の9月のある日。渋谷にあるAAグループでワンデイのメダルをもらった。

この日が私の、飲まないで生きる第1日目になった。


不思議なことに


当時、印刷の版下の会社で働いていた。

書店で見かけるような雑誌の版下の制作もしていた。と、いうことは常に締め切りに追われる業種だったということだ。こういう業界に9時から5時までという概念はない。

ただ、私のいる部署では、交代で週に一回は定時に帰れる日を設けていたことや

ワンデイのメダルをもらってから、

数週間、どういうわけか会社全体の業務が減って、毎日定時で帰れる日が続いた。

私は5年ほどその会社にいたが、そんな状態になったのは、この時だけだった。

その間、私は仕事が終わるとせっせとミーティングに通った。

都内に暮らしていたことも幸いした。ミーティング会場は毎晩開かれていた。

AAには特に親しい人もいないし、

失礼ながら、年配男性の多い(当時)会場に私の好みの人がいたわけでもないが、

ミーティング会場でメンバーたちの話を聞いているだけで、どういうわけかホッとした。

帰り道も一人だったが、元気が湧いて家に帰っていけた。


飲んでいた頃は、太極拳教室に通ったり、それこそ宗教団体の道場にまで通ったが、

お酒は止まらなかったし、結局、つまらなくなって辞めていた。

太極拳やそこの宗教団体が悪いわけではなく、

もともと人づきあいが苦手な私の性格や、

結局のところ、それよりは飲んでいたい、という方向にいってしまうからだった。

そこそこ友達つきあいは残っていても

休日には真面目なイスラムの人をキリスト教会に連れて行った帰りに

缶ビールをジュース代わりに昼から飲んで、ラブホテルに行ったりした。

口を聞かない同棲相手へのあてつけなのか片想いの人のそばにいるためなのか

人知れずもうメチャメチャだった。


AAに通うようになってから、

〝アラコックさん、なんだかコワイよ〟と言っていた上司や同僚が

〝最近、顔色がいいよ〟

〝いいこと、あったの?〟

と声をかけてくれるようになった。

あきらかにそれまでとは違う変化が起こっていることが実感できた。


だが、しばらくすると、会社の仕事量は増えていき

会社はまた不夜城となっていった。

せっかく、やる気になったのに、

AAミーティングに通える日は限られてしまう状態になってしまった。


だが、それまでの数週間の間に

お酒をやめ続けていくためには、何が必要か、

メンバーたちの話から答えをもらっていた。

「ホームグループ」「スポンサーシップ」「12のステップ」。


あの時、一ヶ月ほど酒をやめられているからと

何もせずに忙しい毎日に戻っていってしまったら

再びお酒に手を伸ばす日も近かっただろう。


ここらへんの話は長くなりそうなので

この項、つづく。