アルコールを手放すまで1️⃣
1990年代はじめ。
私は同棲している相手と口をきくことも、顔を合わすことすらなく、暮らしていた。
誰にも言っていない借金の返済もあるので
毎晩夜中まで残業代のつく会社勤めはありがたかったが、
自分から壁を作るので、仕事場での人間関係もうまくいっていなかった。
なんの為にそうして働いているのか虚しくもあり
一日の終わりは、アルコールを飲んで終わらないことには
次の日に越えていけないというのか、
そんな毎日だった。
休みの日だったと思う。
誰かに、この虚しさを聞いてもらいたかった。
まだ携帯電話は無かった頃。友達は出かけていて留守番電話。
手元に、いろいろな相談窓口を紹介している便利帖があったので
あまり深く考えないで、なんとなく
そこに掲載されていたJSO(AA日本ゼネラルサービス)に電話をかけた。
毎日がけだるく、物悲しいとか、訴えた。
ところが、電話に出た中年と思われる男性は
「ここは、アルコールに問題のある人のためのオフィスだから」と冷たい対応。
ケチ!
話くらい聞いてくれたっていいじゃない、と思う私だった。
でも、こんな冷たい人に聞いてもらいたくない、とそそくさと電話を切ろうとすると、
男性は「キミは面白いねー」と言いながら、いろいろ聞き出してくれた。
「でも、毎日お酒飲むんじゃ、誰でも二日酔いだよね。
半年くらい、飲まないで朝起きたら、頭もスッキリして気持ちも良くなるかもね」
それから、
ついでのようにアルコホーリクス・アノニマス(略してAA)という自助グループの説明もしてくれた。その電話に出た人も、アルコール中毒者(当時はこう言っていた)で、その自助グループに参加しているらしい。
「僕たちは、自分たちで会場をセッティングしてやっているんだよ」
へー。
ご苦労様です。
私は勝手にアタマの中で、テーブルをヨロヨロと運んでいる
ゾンビのような人たちを想像した。
そんな所に誰が行きたいもんか!
友達もいるし!
間にあってまーす!
話を聞いてもらったのでお礼を言って、電話を切った。
自助グループなんか、行くわけなかったが
〝半年くらい、飲まないで朝起きたら、頭もスッキリして気持ちも良くなるかもね〟
という言葉には、やってみようかと思わされた。
でも、半年もお酒を飲まないなんて、気が遠くなりそうだった。
とりあえず、禁酒、という貼り紙を部屋に飾った。
禁酒を始めてみたのだ。
しかし、禁酒はせいぜい1か月しか続かなかった。
それから二、三年は、禁酒をしては続かないことを繰り返した。
その後、1995年9月にその自助グループに参加し、人生が変わっていくことになるとは
思ってもみなかった。